ホジャ・ナスレッディン

旅日記索引<< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 >>

第14話 田舎に向かう

9月29日(火)
 午前中にアリシェルさんが警察に行って書類をもらってきてくれたので、滞在の手続きがやっと完了した。こんなややこしいことになったのは、ホテルに滞在しなかったからで、旅行者として普通にホテルに泊まればすんなりいくのだそうだが。ともあれ、お昼にいよいよ出発。まずは近くのレストランで昼食を、ということになる。
近くの公園にはバンビもいた

大通りには、ずらっとお店が並んでいる。焼きたてのパンやサモサなどを並べている。

アリシェルさんが入った店は、入り口はそんなに広い感じじゃなかったのに、中は広くてしかもなんだかゴージャスだった。
家具までいちいちでかい。

一隅に水槽があり、

魚がおよいでいた。

藍子が最初の日に食べたチキンスープのうどんが気に入っていたので、それと、シャシリク(焼き肉)、サラダ、サモサ、ナンとチャイをたのむ。チキンうどんは「クリンナヤラプシャ」というのが正しい名前で、もとはロシアの料理なんだそうな。この名前もロシア語なのだ。あっさりしたチキンスープに小麦の細くて短いうどん。ディルやコリアンダーのみじん切りが上に乗っていて、それがまた美味しい。うどんというか、つまりスープだ。

サラダは生の野菜を切って盛りつけただけ、というのが多いのだが、野菜というかハーブの方が多い感じ。ここは盛り付けも面白かった。ナンは大きなものが丸ごとでてくる。いつもアリシェルさんが手でちぎって配ってくれるのだが、これは家長の役目らしい。お茶も作法がある。土瓶みたいなのに入って出てくるのだが、湯のみに1杯注いではまた戻す、というのを3回やる。そしてそのあとは、1杯目は自分に、2杯目は一番上の人(客人やお父さんなど)、そして順番に注いでいく。そして土瓶から一番最後のお茶が注がれると、「いちばんおいしいとこ(アッラーの恵み)」と言われる。食事の時のチャイは、ウズベキ人もトルコ人に負けないほどおかわりをして飲む。湯のみが空になると、即座に注いでくれるし、いつでもみんなおかわりをしては飲んでいるのだ。

さて、食事が終わるとタクシーでバス乗り場へ。2時発の大きなベンツバスがあるというのでバスで出かけることにする。アクバルさんは田舎へは一緒に行かないのだが、ずっとついてきてくれて、重い荷物をもってくれたりバスの時間を調べてきてくれたり、水を買ってきてくれたりと、気を使ってくれる。

バスを待っている間、あたりをぶらぶらする。ロシア語の看板はほんとに書いてあることがわからないところが面白い。

バスターミナルの建物。建物も古めかしいが、車も古い。古い車がたくさん現役で走っている。

いよいよ出発だ。アクバルさんとしばしのお別れ、ほんとうにできた人だった。タシケントにいた間中、彼はいつでも細かく気配りをしてくれた。特に藍子と歩いているときなど、藍子が遅れれば歩調を合わせ、段差があれば手を差し出し、待ち時間などあればボールや風船を買ってきて遊んでくれる。こんな22歳、日本にはちょっといないんじゃないか?

バスはガタガタと揺れながら、すぐに街を出てほこりっぽい道を走りだす。時折家がたくさん並んでいる集落を通る。白い壁に瓦のようにも見える屋根があるような家がたくさん建っている。


結構新しい感じの家だった。

広い綿の畑もたくさん見た。畑作業の移動らしく、小さなトラックの荷台に人がわんさか乗って走っていくのも見た。ウズベキスタンは綿花栽培が盛んなのだが、しかしそれはソ連時代に政策として広まったもので、重労働の上植民地のようにひどい搾取をされていたのだそうだ。独立後も綿は作られているのだが、連作で土地が痩せ、水が枯れるなどの問題もたくさん起きているそうだ。

道は悪くてものすごくガタガタ揺れる。でもまあ遠足気分でお菓子を食べたりおしゃべりしたりしていたのだが、バスで3時間と聞いていたのに、一向に着く気配がない。どうもバスだとのろいのでもっと時間がかかるらしい。日暮れまでに着けるのかなあと思ううちになんとなく暗くなってきた。窓の外はずーっとほこりっぽい平地でもう家も何もなくただただ何もないところを走っているのだが、ふと反対側の窓を見ると山が近くに見えている。日が沈みかけた空に、山がシルエットに浮かんでいて、でもまだぜんぜん到着しそうになく、なんだかどきどきしてくる。ここで何かが起きても誰も発見してくれなさそうな砂漠の真ん中で、まったく言葉のわからない人たちに囲まれてバスがどこに向かっているのか確認することもできず、子供を連れてこんなとこに来ちゃって本当に大丈夫?私の心配性の虫は騒ぎ出すと止まらない。心細いなかで自分が一人の人間なんだと考えるうち、人間として大事なものはなんだろうかと自問しはじめ、包容力、受容力、赤の他人を受け入れる力、みたいなものがこういう場所に一人置かれたときに一番大事なものなのだろうかなどと思った。つまり大きなハートということ。そんなことをドキドキ考えるうちに、本当に真っ暗になってしまった!もうすぐ7時だ。5時間も乗っている。と思ったら、やっと、やっと着いた。今夜お世話になるイスロムさんのおじさんのハビブさんの家からお迎えの車がきて待っているという。急いで車に乗り換えて、さらに30分。さらにガタガタ道をとばしていく。途中ところどころ急にスピードを落として迂回するような運転をする。そうとう道が悪いらしい。そのうち暗闇に白い土壁が浮かんで見え始めた。集落に着いたらしい。なんかものすごいとこに来ちゃったんじゃないか?とすごい不安。そして車は門から中に入って、明かりのついた家の前でとまった。

 案内されるままに家の中に入る。白い分厚い壁、床は木で全体になんとなく傾いている。玄関入ってすぐの土間に大きなガラス張りの冷蔵庫が置いてあり、壁には空港会社の大きなポスターが貼られてある。入り口で靴を脱ぎ、正面の部屋に入ると絨毯が敷いてあり、壁には民族衣装や伝統的な家具や小物らしきものが飾られていて、なんというかリトルワールドみたいな家なのだ。そこに荷物を置いて、玄関の隣の部屋に食事が用意してあります、と案内され、この建物はお客用の家です、と言われる。
暗いのもあって写真がよくないんですが。部屋は結構広い。絨毯が敷き詰めた中に低いテーブルが整えてあり、長ーい座布団のようなものが敷いてある。これはクルパチャといって、座布団にも使うし、敷布団としても使うものらしい。すごく長いのを折って使う。

テーブルの上にはレーズン、くるみ、ぶどう、りんご、キャンディなどがきれいに並べてある。そして席に着くとどんぶり一杯のヨーグルト(一人一個!)。そして野菜たっぷりのやさしくおいしいスープが出てきた。そして大きなパンをハビブさんが固そうに割ってゴトリと配ってくれる。固い。(おそらく冷蔵保存されているのだろう)パンは固かったが、くるみもレーズンもぶどうも、また今までにない美味しさ! ヨーグルトも美味しい(でも量が多い)スープもやさしいしみこむ美味しさ。着くのがすっかり遅くなってしまったので、軽めの夕食にしておきましたとのこと。食事中になぜか酔っぱらった親戚が乱入してきた。イスロムさんもハビブさんも敬虔なイスラム教徒、お酒は厳禁なイスラム家庭で酔っ払いはめずらしい。しかも話を聞くと国営ウズベキスタン航空のパイロットだという。初めはこれがパイロット?と思ったが、話をするうちに面白そうな人だと思えてきた。石川君にお酒は駄目だと怒られていた。イスロムさんの親せきはすごい人、面白い人がたくさんだ。

 食後に明日はどうするかと話をする。ハビブさんは獣医をしている人だそうで、その関係もあり、ヨーロッパなど外国からお客が来ることもあるという。また、自然の中での暮らしを体験するという観光ができないかとあれこれ考えてもいるという。どうも村ではぜいたくな暮らしをしている家のようだ。翌日は石川君のたっての希望で羊のトサツを見せてもらうことに。そしてどんな料理を食べたいか、という話などして早々に寝る。水道はなく、玄関の横にタンクがぶら下がっていて、下のところをチョンチョンと押すと水がでてくる仕掛けの装置がある。わたしが子供の頃にトイレとかにあったようなやつだ。そしてトイレは外で、白壁のちいさな小屋の中に一応洋式便器がついていた。(もちろん水洗ではない)さっき車から降りたところはどうも中庭のようで、低い木立の素敵な庭のようだった。ちいさな明かりしかなかったが、母屋の方も気になる。しかし今日は頭が疲れたので、色々観察するのは明日にしよう。とにかく寝る。荷物を置いた部屋の奥にさらに広い部屋があり、そこに奥さんがクルパチャを敷いてくれる。あたたかい。床なので広々とよく寝れる。