ホジャ・ナスレッディン

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第19話 タシケントにて、食べ納め。

10月4日(日)
昨夜はあんなに遅くまで盛りあがっておいて、朝目を覚ますととっくにお母さんは朝ごはんの支度をしてくれている。肉とじゃがいものスープ煮、サラダ、ナン、チャイ。今日は1日がかりでタシケントに戻る。来る時は西へ西へと少しずつ移動していたのだが、それを一気に戻るので、車で7~8時間はかかるという。タクシーで帰るつもりだったのだが、なんとアリシェルさんのお兄さんが送ってくれるということになった。お母さんと抱き合ってお別れの挨拶をし、車に乗り込んだ。

9時に出発して途中休憩しながら夕方5時半になつかしいタシケントのアパートに戻った。砂漠の道を延々ガタガタ走りつづけ、荷物が多いせいで席も狭く、窓からどうしても日差しが入り込むので暑くてたまらず、辛い一日だった。途中お昼ごはんに、アリシェルさんがたまには魚はどうですか?と言ってくれて、魚なんて食べれるのなら食べたい!というわけで魚を食べられるレストランを探して入った。時間がちょっと遅かったこともあって人気のない店で、道路に面した庭に一段のぼった席があり、そこで魚を待った。自分たちだけだったら絶対入れないような、田舎のごちゃごちゃした店で、どんな魚が食べれるのかと思ったら、出てきたのは魚をまるごと素揚げにしたものだ。魚は鯉みたいな味の川魚。コリアンダーたっぷりのチリ入りの辛いソースをつけて食べる。結構肉厚でおいしかった。つけあわせも何もなく、ナンとチャイと一緒に食べた。

アパートでお兄さんにお礼を言って別れ、部屋に入るとなによりうれしかったのは水洗トイレとお風呂だ。なにしろ田舎での6日間、どこでもお風呂もシャワーも勧めてもらえなかった(無いわけではないのだろうが)。このアパートの浴槽はしかもとても大きいのだ。ゆったりとお風呂に入ってそのまま朝までぐっすり・・・といきたいところだったのだが、このあと帰国するまでの間に3軒のご家庭から食事の招待をされていて、その1つ目に今夜伺う予定になっていた。

とにかくお風呂には入って支度をするとアリシェルさんが迎えにくる。今日はアリシェルさんの会社の先輩のお宅に伺う。もう暗くなっていてよくわからないが結構高級そうなきれいなマンション、トルコに比べるとひとまわり小さい感じはするが、広いダイニングルームにテーブルと椅子のセットで食卓が用意してあった(田舎ではテーブルとイス、というのはあまり見かけなかった)。それにしてもすごい御馳走だった。前菜にはハムやサラミ、いろいろなチーズ、ハーブの盛り合わせにはパセリ、コリアンダー、フェンネル、バジル、ネギみたいなハーブ。サラダにはトマト、赤ピーマン、キュウリ、オリーブ、パセリ、チーズ。自家製のサモサは肉入りとかぼちゃの2種。もうこのあたりでお腹いっぱいになりそうだが、ここからがメインだ。奥さんの手打ち麺のラグマン。これはやはりウイグルから入ってきた料理で、色々な野菜と肉が入ってトマトスープで煮込んである。さらにマントゥ。もちろんこれも皮から手作り。今日は生クリームをつけていただく! さらに娘さんの手作りデザート、ナッツとレーズンのパイとメレンゲののったケーキ。メロンにすいか、ぶどう、ナッツなどなど。御主人はもてなし好き、おしゃべり好きな博学な方で、家の中も立派な家具が並び、かなりハイソなご家庭だった。でも、お金持ちになるほどヨーロッパ的になっていくのは仕方ないことなのかな、とすこし思う。

10月5日(月)
ウズベキスタンに滞在するのもあと2日。今日はイスロムさんの家に招かれている。イスロムさん本人は日本に滞在中、奥さんとお子さんの住む家にお邪魔する。イスロムさんのお宅は、日本で言うと団地的な雰囲気の集合住宅の一室。タシケントは電気、ガス、水道が整備されているので、家の中も日本とそう大きく違わない。ガスや水道が整備されているということが、こういうコンパクトな住まいを作るという前提なのだな、と気づく。

今日もすごい御馳走だった。昼過ぎに伺ったのだが、夜まで延々食べながらおしゃべりして過ごした。ナムル風のサラダは家庭でよく作られているようだが、今日のは春雨みたいな麺のサラダだった。チャプチェみたいなものか。ナムル風もあった。それから豆と肉と野菜のトマト煮。変わったものもでてきた。ヨーグルトスープの麺だ。麺は小麦のうどん。スープにヨーグルトを入れてゆでた麺を入れ、野菜と肉をバターで炒めたものが上に乗っている。勇気をだして食べてみたが、結構いける。そのあとマントゥもでてきた。やはりヨーグルトをかけて食べる。アリシェルさんと日本の餃子の話しになるが、皮は手作りしませんね、と言われてしまった。藍子は変わったものには手をださず、かりんとうみたいなお菓子と果物ばかりで、子供と遊んでいる。とにかく量が多すぎてとても食べ切れないのだが、食後に出してくれた洋梨がまたまた美味しかった。

10月6日(火)
今日は荷造りをするためにどうしてももう一つかばんが欲しくて、バザールに連れて行ってもらう。アリシェルさんが午前中仕事に行かなくてはいけないというのでアクバルさんと出かける。といってもアクバルさんとの会話はほとんど手話だ。

アパートの近所にバザールがあり、かばんといっても簡単な大きな袋みたいなものなので、雑貨屋さんですんなりみつかった。雑貨はやはりほとんどがメイドインチャイナなものばかりで、どうにも粗悪だ。石川君が爪切りを買ったのだが、これがなんとも用を為さない(爪が切れない)。中国を悪く言いたくはないのだが、安いばかりで粗悪なものが世の中に増えていくのは恐ろしいことだ。職人が作った美しいモノが、売れないという理由で抹殺されていってしまう。

バザールの食品エリアものぞく。真っ赤なトマト、黄色い人参、なす、きゅうり、丸っこい短いきゅうり、じゃがいも、玉ねぎ、カリフラワー、ささげみたいな長い豆、いんげん豆などなどが、ここでもやっぱりきれいにディスプレイされて並んでいる。お菓子エリアには小さい焼き菓子がうず高く積み上げられていて、ちょっと買ってみる。その横には派手なでかいデコレーションケーキも常温で並んでいる。あたりを飛び交っているハエがあのクリームに足をとられないか心配だ。

いいお天気で、まだ時間もあるのでやっぱり座ってお茶でも飲みたくなる。するとそこにちょっとした店があり、外にテーブル席とかもある。ハンバーガー屋みたいなものだったかな。アクバルさんを誘ってそこの席に座り、チャイを頼む。アクバルさんと藍子はジュース。しかし、チャイだけ頼む人はいないのか店の人もアクバルさんもちょっとへんな顔をしていた。それにしても店で飲むチャイは薄い。それでもこんなひとときが大好きな私たちは、バザールの喧騒を遠くに眺めつつお茶を飲む。部屋に戻って買ってきた焼き菓子をつまんでみたが、まあまあなのもあるが全体にバターの香りがきつくてちょっと食べ辛かった。

お昼前にアリシェルさんとアクバルさんが来て、タクシーでピラフセンターというところへ出かける。オシュ(またはピラウ)というピラフのようなウズベキ料理を食べるところなのだが、英語で言うとピラフセンターとなるのか?オシュが出来上がる時間が決まっているということで、急いで向かう。建物の外のちょっと屋根だけあるようなところに、大きなカザン(鍋)をのせたかまどが5つくらい並んでいる。それぞれのカザンにシェフがいて、それぞれの味のオシュを作っているという。カザンのまわりは人だかりができていて、どのカザンのオシュにしようか覗き込む人、お目当てのシェフがいる人、決まるとそこで皿に盛り付けてもらう。お金を払って自分でお皿を持って建物の中に入り、好きなテーブルについてサラダやチャイもセルフで買って食べる。中はなんだかやたらとゴージャスな大広間。白いクロスのかかった丸テーブルがいくつもならび、吹き抜けの天井からは巨大なシャンデリア、お城みたいなカーブする階段を上ると2階席もある。不思議に思っていると、ここはもと結婚式場だった建物だときいて納得。そのまま使っているのだ。

1階はもうほぼ満席状態、2階にやっとテーブルをみつけてチャイやナンも買ってきて、やっと席につく。昔はこれは手で食べるべきものだったらしいが、皆スプーンで食べている。若い人や街の人は手で食べるのはお行儀が悪いと思うらしいが、老人は手で食べるべきだと言う人もいるらしい。時代の過渡期なのだ。

そしてオシュはとても美味しかった。羊の肉とにんじん、レーズン、ホールの黒コショウも入っていた。カザンを覗き込んだときにびっくりするくらい底に油がたまっていて、どんなものかと思っていたのだが、確かにオイリーなんだけど、香りがよくさらっとしてうまい。藍子も結構食べていた。オシュはウズベキの代表的な料理で、冠婚葬祭でふるまわれたりもする大切な料理なのだそうだ。

ピラフセンターのあと、またバザールで最後の買い物をして、夜は最後のお招き、アリシェルさんのお兄さんのお宅へうかがう。

お兄さんのお宅は古いアパートの部屋を改装したということで、中はすごくきれいだった。タシケントの住宅事情は、ソ連時代からあるのかな、という古いマンションが結構たくさんあって、外側は古びていて汚い。中も日本ほどではないが割りと狭い。

お兄さんの奥さんは3人のまだ小さい子供を育てながらお医者の仕事もしているそうで、でも家の中はきれいだし料理もうまい。そういえばどの家のお母さんも料理が上手だった。皆、自分の国の伝統的な料理をきちんと作ってお客をもてなすことができる。それってすごいことだな、と思う。

今日はアリシェルさんにお願いして、できるだけ野菜料理でお願いします、と伝えておいた。もう肉は食べすぎて見たくもないくらいなのだ。前菜はキムチ風サラダ、韓国麺のサラダ、カリフラワーのソテー、ハム、キュウリ、トマト、ハーブのサラダ。ポトフ風のスープは5時間くらいかけてことこと煮込んで作る。ポトフに似ているがこれもウズベキ料理。それからチュチクラという小さなマントゥを一緒に作る。薄くのばした生地を4~5センチ四方に切り、普通は肉だけど今日はほうれん草の具をちょっとのせてかわいく成型する。ひとつひとつ手作りする。トルコのマントゥと似ている。これを茹でて、バターをのせたりマヨネーズなどで食べたりするそうだ。さらに肉と米をつめて煮込んだピーマンの料理。これもトルコ的。お願いしておいたおかげか、結構色々な種類の野菜が食べられてとてもよかった。

明日の朝は早朝の便でいよいよ日本に帰る。アリシェルさんとアクバルさんもアパートに泊りこんでくれる。

10月7日(水)
朝4時半に起きてインスタントコーヒーを飲み、重いかばんを積んで空港へ。最後までアクバルさんは一番重い物を運び、車を呼んだり様子を見てきてくれたりと、頼りになる人だった。ウズベキスタンは入国も大変だったけど、出国もまたいろいろあって書類が間違っていたり荷物が重量オーバーだったりと、最後の最後までお世話になりました。たくさんたくさんお礼を言って、お別れをする。
タシケントから成田経由で関空まで9時間くらいの最後の飛行機。飛行機が苦手な私はゆっくり眠れず落ち着かないが、藍子はすやすやとよく眠っている。機内食にオシュが出てきたが、あのピラフセンターの美味しかったのとは比べ物にならない。でも日本に着くまでまだ時間もあるし、と半分くらいは食べるが、石川君も藍子もまったく食べない。ようやくようやく成田に着くと、いったん飛行機から降ろされた。トイレでもいこうと空港内を歩いていると、なんとコンビニが!!! お茶とおにぎり、買ってもいいの?!!! 再び関空に向けて飛び立った飛行機の中で食べたおにぎりの美味しかったこと! 

さて、関空についたのが夜の9時すぎで、それから名古屋に帰るのはちょっと大変だからと、関空で一泊ホテルを予約しておいたのだ。空港のホテルは高すぎるからちょっと離れたところで、それでも高いから、親子3人でダブルの部屋をとっておいた。旅に出て初めてのホテル泊?だったのだが、部屋に入って驚いた。驚きの狭さだ!温泉もあったりして快適なホテルだったのだが、ケチったこともあるがとにかく狭かった。そして1泊してさらに驚いたのは、設備が完璧に整っているということだ! ものすごくコンパクトにあらゆるものが収納してある。この計算された収納力! 帰ってきていきなり超日本的なるものを見せられた気がした。広くて何にもないのと狭くてなんでもあるのと、どっちがいいだろうか?

3週間の旅日記はこれでお終いです。たくさんの人にお世話になり、たくさんの御馳走をいただき、本当に感謝しています。日記は私の主観的な意見であり、聞いた話も日本語に訳される時に誤解が生じたこともあったかもしれません。それでも未知の世界を知る楽しさを形にしたく、共有したく、まとめてみました。最後まで読んで下さってどうもありがとうございました。  石川さをり