第16話 サマルカンドのエキゾチックな夜
10月1日(木)
今朝もまた裏山に登る。昨日は遅れをとったので今日はもっと早起きした。
今朝は朝日が山かげから顔を出すところがぎりぎり見れた。
大地にたたずむ石川直樹。
この村はなんと1000年くらい前からあるそうで、もしかして暮らしもあんまり大きく変わってないのでは?タイムトリップしているような気分にもなる。厳しい自然環境と牛や羊などの家畜、衣食住を手作りでまかなうような暮らし。こういう生活の中で人間らしさを支えているのが宗教なのかなと思う。ただ生きているというだけでなく、暮らしや子育ての中心軸、人間らしさの中心軸としてのイスラム。「大草原の小さな家」でのローラ一家も大自然の中で信仰心を大切にすることが一家の精神的よりどころとなっているように描かれていたことも思い出す。大自然の中で人間らしく生きるということ。日本での暮らしが遠く虚構に思える。
朝食はゆうべのギュルミンディ、どんぶりいっぱいのヨーグルト、ナン、果物、チャイなど。ヨーグルトやチーズなど、自家製だからか乳製品が体にきつく感じられていまいち手が伸びなくなってしまっている。わたしはもともと乳製品が苦手なのだが、藍子も食べないし石川君もさすがに食べられない。ついぶどうとかばかりに手が伸びる。ハビブさんは大好物のギュルミンディを今朝もうれしそうにたくさん食べている。
ハビブさんと息子(4歳)。ウズベキの人は老けるのが早いと前に書いたが、ハビブさんなんと37歳なのだ。石川君と同い年なのだ! 厳しい中で生きてきたんだなと思わずにいられません。すごくイスラムを熱心に勉強している方で、よく考えたらまだ若い世代なわけで、また見え方がガラッとかわってしまった。
さて、このあとハビブさんも一緒にサマルカンドへ行って、例の料理上手な女性がやっているホテルに行くことになっていた。お母さん、娘たちとお別れして、特に藍子はさみしそうにお別れをして、また車でガタガタと出かける。ちょっとしたバザールのあるあたりまで送ってもらい、そこからはタクシーで向かう。ハビブさんが買い物をするというのでわたしたちもバザールをのぞく。
ちょっとした町、といってもこんな感じだ。
建物の中にいくつもお店が入っている。いろんなものがむきだしで売られている。
中庭は野菜や果物の市のようになっている。スイカやメロンの季節だ。
トマトもゴロゴロ売られている・・・。
トルコもそうだがこのあたりもトマトはよく食べられているようで、ウズベキスタンは冬になると寒くてほとんど野菜がとれなくなるので今のうちにトマトを煮て加工しておくのだそうだ。
くるみとレーズン。ハビブさんの家ではハビブさんちでとれたくるみとレーズンをいただいたのだが、とっても美味しかった。くるみはすごく品のいいオイルの香りとコクがあり、レーズンはフレッシュなぶどうそのままの味がした。
わたしたちが買ったものはこれ(ぼけてますが・・)。携帯型のビスケット。結構おいしかった。藍子が気に入ってほとんど食べられた。
タクシーをつかまえて次はジザックという街に向かう。ハビブさんの住むファーリッシュという村から一番近い大きな街だ。そして
車は大きなレストランで止まった。ここでジザック名物のサモサをいただく。サモサはウズベキスタンの名物なのだが、ここが本場なのだそうだ。
サモサと言ってもインドのサモサとは全く違う。大ぶりの肉まんの形をしていて玉ねぎと大きな肉がゴロゴロ入っていて、タンドールで焼いてある。一人一個ずつのサモサとトマトときゅうりのサラダ。チャイ。味は単調で少ししょっぱめだった。結構ボリュームがあるのでかなりお腹がいっぱいになってしまい、藍子の残した分まで食べれなかった。
テーブルから少し離れたところでお客に見えるようなところにタンドールがあり、サモサを焼いていた。
こんな風にタンドールにぺたぺたとはりつけて焼いている。うまく落っこちないもんだ。
この人が焼いている。この店の人はみなにこにこと愛想がよく、藍子はここでもおしん!と呼ばれていた。
この店でアリシェルさんの友人でジザックに住んでいる人が現れて、街を案内してもらう。その人はウズベキ人といってもまた系統の違う顔立ちの人で、中国や日本にいそうなやわらかめのアジア人の顔。水木しげるのまんがのわき役に出てきそうな感じ。店を出て、タクシーで小高い丘のようなところの展望台みたいなところへ行く。途中の町並みは、整備されたまっすぐな道路に沿ってタシケントで見たような大きな建物が建っていたりして、結構な都会だ。そんなに広くはないが。その友人は銀行かなにかに勤めるエリートなのだそうだ。
展望台からの眺め。結構広く街が広がっている。
ちょっとかわいいテーブルとイスがあった。
次にその友人の知り合いというハラールのレストランを見学させてもらいにいく。お昼ごはんの時間も過ぎていてお客もいないのでいろいろなところを見せていただいた。まずは店の中を素通りして裏庭へ。
左端の小屋みたいなところの中にタンドールがある。
中からみたところ。タンドールが3個も並んでいる。よくみるとガスが通っている。
中にはやっぱりサモサが。
トマトソースらしきものが冷まして置いてある。
この大きな鍋はオシュというウズベキのピラフのような料理専用の鍋。
水洗の手洗い場もあり、清潔な中庭だった。
次に厨房の中も見せてもらう。
コンパクトで清潔なキッチン。
コンロもガスで近代的な作りになってはいるが、基本的な構造はハビブさんの家の薪のかまどと同じだ。
これもどうやらコンロになっている。
最後にまた客席を通過して店をでた。どうせならこの店で食事をしたかった。
ジザックをひととおり見せてもらい、アリシェルさんの友人と別れると再びタクシーに乗りこみ、いよいよサマルカンドのホテルへと向かう。ウズベキスタンは街と街の間は何もない砂漠の道だ。国道らしき道でもかなりでこぼこしていて、車に乗っているのは結構辛い。サマルカンドはシルクロードの重要な拠点として古くから栄えていた都市だ。タシケントは首都ではあるが、ソ連時代の名残が強く残った都市という感じ、サマルカンドは歴史と古いモスクなどの見どころがたくさんある。なのでウズベキスタンに観光に訪れる人はみなサマルカンドへは行くようだ。砂漠の中をつっきる国道をひた走り、検問所のようなところを抜けるとSAMARQANDという大きな看板が見える。市街に入ると、白い壁の割合大きな家が立ち並ぶ住宅街のようなあたりに入り込み、大きな門のあるりっぱな家の前で車は止まった。ここがハビブさんの知り合いのムボーラさんという女性がやっているというレストラン兼ホテルということだ。なかなかのいい雰囲気にホッとする。門をくぐって中に入る。
建物に入るとすぐそこは中庭になっていて、吹き抜けのスペースを取り囲むようにちょっとリゾート風の建物が建っている。真ん中に例のちょっと上にあがって座れるようになったところがあり、セッティングされたテーブルが用意してある。
ムボーラさんと挨拶を交わすと、真ん中のテーブルに案内された。
3種類のサモサ(お肉、じゃがいも、かぼちゃ)、焼き立てのナン、ごはんの入ったスープ、ぶどう、チャイ。サモサはジザックで食べたのとは違い、割りと小さめで皮もパイみたいなサクッとした感じ、中身もそれぞれ味が違ってとても美味しかった。しかし、食事にたかるハエがすごい。
そのあと、わたしたちが料理に興味があることを伝えてもらっていたらしく、キッチンでピラウ(ピラフ)の作り方を教えていただけるという。キッチンの中は、オーナーが女性ということからか、料理を作っているのはほとんど女性。男の人はボーイさんかお手伝いのようだった。
ピラウの方は、一緒に作りながら丁寧に教えてもらう。ウズベキ名物とは言っても地方によって随分いろいろと違いがあるらしい。ここでは肉、たまねぎ、人参を重ね煮(蒸し煮の一種)してから米を加えて炊き上げるやり方。レストランなどでは専用の大きな鍋で大量に作るものらしいが、ここは無水鍋のようなもので作っていた。
やがて暗くなってきた中庭のあちこちに明かりが灯され、ほかのテーブルにも人が集まってきて夕食が始まった。私たちもさっき食べたばっかり、と思いつつもいただくことになった。と思ったが、昼が遅かった配慮からか、ピラウとマントゥという蒸しギョーザの2種類だけだった。このマントゥという料理、見た目はほとんど中華の蒸しギョーザ、中身は羊の挽肉と玉ねぎ、そしてこれにヨーグルトをたっぷりかけて食べる。ところでマントゥと言えば、トルコにもあった。2センチ四方くらいの小さな生地に小指の先くらいの肉の具材をのせて包み、ゆでてスープに入れたもの。中国、中央アジア、そしてトルコと形を変えながら伝わっていった様子がわかるようでとても興味深かった。トルコのあとはパスタとなってイタリアに行ったのだろう。
さて他のテーブル席になんと日本人の団体客がやってきた。観光バスで乗り付けて10人ちょっとくらい、年配の方が多い。食事がはじまってしばらくすると民族衣装を着た踊り子さんと楽器で演奏する人2人くらいが現れて、その日本人向けに歌と踊りが始まった。盛り上がってきたところで1人2人と日本人客をひっぱりだして一緒に踊ったりしている。私たちを含め他にも食事をしているテーブルはあるのだが、その日本人たちのところだけ異様に盛り上がっている。しかもだれかお誕生日の人がいたらしく、サプライズ的にケーキまででてきてみんなで歌いだすやら大騒ぎだ。踊り子さんたちが帰っていってちょっと落ち着いたところでアリシェルさんが話しかけてみたいとうずうずしている。ちょっといたずら心でわたしと藍子とアリシェルさんで家族と偽って話しかけてみることにした。こんばんわー、日本の方ですか?するとあっさりと信じられ(当たり前だよな)こっちに何年くらい住んでいるのかとか子供は日本人学校とかに行ってるのかとかすごい質問攻めにあい、うろたえて、いや冗談ですといってもこんどはほんとのことがなかなか信じてもらえず焦ってしまった。我ながらあほなことをしてしまったのだが、アリシェルさんはとにかく日本人とみると話しかけたくなってしまう人で、だからこそこんなに日本語が上手なんだなと改めて感心してしまった。語学が上達する人というのはおしゃべり好きな人なのだ。
日本人の団体さん達は食事が終わるとここには泊まらずまたバスに乗り込んでいった。静かになってお開きという雰囲気になり、わたしも疲れたから休もうと思ったら、石川君はハビブさんとアリシェルさんと、イスラムの先生のお宅に出かけてくるという。それでわたしと藍子と2人で部屋に案内してもらうとそこは迎賓館のような部屋なんだが、宿泊用という感じではなく、部屋自体は広い食堂で、端の方に床が高くなった場所があり、そこに布団が敷いてあり、そこで寝るということらしい。なんかへんな雰囲気だがまあ気にせず眠る。石川君は随分深夜に帰ってきた。