ホジャ・ナスレッディン

旅日記索引<< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 >>

第18話 観光地ブハラと村の暮らし

10月3日(土)
朝ごはんはゆで卵、昨夜のサラダ、ヨーグルト、果物、チャイ。軽くすませてアリシェルさんの家と近所をあちこちみせてもらう。藍子はさっそく親戚の子供と遊んでいる。
アリシェルさんの家はブハラでもちょっと田舎のギジョワン村というところにある。昔ながらの一軒家だ。家は中庭を囲んでL字形の白い四角い建物。中庭を囲む部分はハビブさんの家のように回廊にはなっていないが、例の寝台のような座っておしゃべりする台は置いてある。中庭は畑というか植物がいっぱい植えてあった。庭の奥の方がトイレと牛小屋、ウサギやたぶん鶏も。隣の家の犬もこっちを見ている。
中庭に面している壁。日差しが強いからか壁は分厚く窓は小さい。


部屋を出たところに手洗い場が。真ん中についている容器に水を入れて下からちょんちょんと押すと水がでてくる仕掛け。いろんなところでこの装置は見かけた。アリシェルさんの家もガスと水道は通っていない。水は井戸もあるのだが、井戸の水は1993年から飲用には使えなくなったのだという。ウズベキスタンは金やウランなどの鉱物資源が豊富なのだが、採掘場では一日にすごい量の化学物質を土に入れて圧力をかけるというやり方で資源を採っているということで、その化学物質に地下水が汚染されているというのだ。それで水は買って飲んでいるし、水のペットボトルをやたらと見かける。でも井戸水は牛にやったり皿を洗ったりするのには使うそうだ。いずれ影響が出てきてしまうことが怖い。政府は飲用禁止というだけで何のフォローもしてくれないという。
アリシェルさんのお母さんと親戚の子。

近所の散歩に出かける。
この壁は家を囲む塀。つきあたりが入り口になる。高くて中がまったく見えない塀だ。

近所を歩いても、塀しか見えない。

建物の軒の下に取り付けてある管はガス管だという。ソ連時代には政府が電気やガスを田舎の方まで供給できるようにしてくれたのだそうだ。しかしガスはこなくなってしまった。外からみているとソ連時代は弾圧の時代で暗い歴史の時代だったように思っていたのだが、生活面ではソ連時代の方がずっと良かったというウズベキ人もいる。しかしガスの管がこんなに露出でいいものか?

写真はないが、畑仕事にでも行くのか、ロバの荷馬車に乗ったおじさんとすれちがった。ロバはこの辺りではまだまだ現役だ。

塀と塀のすきまを覗き込む。


開いている裏木戸を覗き込む。



木彫りの扉があちこちに。
道を渡るガス管。聞いてからガス管が気になって仕方ない。


ここは村の人のモスク(礼拝所)

ソ連時代の宗教弾圧のせいなのかどうか詳しくは聞けなかったが、このモスクはイスラム信仰を取り戻すために村の有志の人たちが建てたものだそうだ。アリシェルさんのお母さんは学校の先生をされている方なのだが、村では知識人としてみんなに敬われており、このモスクを建てるにあたってもいろいろと協力をされたのだそうだ。

かぼちゃの倉庫。うしろに掛っている絵が、ウズベキではありえない景色!(だと思う)

かわいい腰掛け。

ガス管と犬の顔


村の暮らしがほんのちょっぴり垣間見えた朝の散歩だった。

今日はアリシェルさんのお兄さんが車でブハラ観光に連れて行ってくれる。観光メインの街(オールドシティ)に行く前に、一つのモスクに立ち寄る。
ブハラはイスラム教にとって重要な都市。数多くのイスラム学者が生まれ、数多くの留学生がここで学んだという学問の伝統があるのだ。


モスクに必ずついているミナレット(尖塔)。ウズベキスタンのはちょっと寸胴なフォルムをしている。ミナレットは昔はこの上から声の大きい人が村人にいろいろな「お知らせ」をしていたのだそうだ。王様のおふれだとか今日は誰かの結婚式だとか。


全体にこぎれいな、そんなに古くない感じの建物だった。

カドがとってある。

近くで見ると割りと簡単な作りのモザイク。その分全体のフォルムと土色の風合いがひきたつ。

ちょっとトイレをお借りして中に入ったのだが、高ーい壁の狭ーい通路だった。

車に乗ってオールドシティ(エスケシャハル)へ。一帯にサマルカンドより古い土色のモスクが立ち並んでいる。そしてモスクと一体になって土産物屋やレストランがひしめいている。ブハラ観光といえばここに来るらしく、観光バスや久しぶりに日本人も見かけた。池を囲んで屋台やレストランが並んでいる公園に、ホジャ・ナスレッディンの像を発見。
ロバにまたがるホジャ・ナスレッディン。ホジャ・ナスレッディンは中央アジア一帯で広く知られている人なのだが、トルコにいけば「トルコのホジャ・ナスレッディン」がいて、ウズベキには「ウズベキのホジャ・ナスレッディン」がいる。
石川直樹、あこがれの人と。

少し歩くとお土産物屋が立ち並ぶ通りがある。

建物はとても古い。四つ辻の交差点にドーム状の建物が建ち、まわりの建物には小さなお店が配されている。


uzu.0034.JPG

ドームの内側はこんな感じ。外国人観光客が多いらしく、売っているものはいかにも観光地的なものが多い。

刺繍のはいったテーブルクロス。ハンドメイドであることを強調していた。ざくろのモチーフをよくみかける。


じゅうたんとか何かの道具とか、通りにじかに並べられて売られている。

人形。よく見かけたのは、焼き物でできた置物の人形で、ナンを焼いている人とか、ひげのおじいさん(ホジャ・ナスレッディンっだったりする)とか、女の子とか。置物でなく壁かけになってるやつとかも。

道沿いをぶらぶらみているだけだと似たようなものばかり並んでいるように思えたが、建物の中に入ると中は結構広くて色んなものを売っている店もあった。そういえば、お土産を買えるチャンスなのだった。と急にお買いものモードになり、買いたいと思っていた食器をここで買うぞ!と意気込む。



しかしわたしは土産物を見るより建物を見る方が面白いのだ。

買い物をしてからさっきの池の横のレストランに戻り、昼食にする。屋外の木陰にたくさんテーブルが並んでいて気持ちよい。いろんな国の観光客がたくさんいた。でもなんかゆったりして心地よいところだった。
牛肉の団子入りうどんスープはもっちり固めなうどんだった。トマトときゅうりのサラダ、名物のつぼで作ったスープ、中にはじっくりと煮込まれた牛肉、じゃがいも、にんじん。肉の味がしっかりでていて美味しい。めちゃめちゃ熱い、そして冷めない。ナンとチャイ。
この店は大きな炭火のロースターがあり、シャシリクも売りにしているようなので頼んでみる。鶏、牛、挽肉のもある。すっごくでかい!ボリューミーだ。おもわず石川君コーラも注文。

観光気分を満喫し(食器も買いました)、もすこし歩いてきれいなモスクと古いお城を見る。


古いお城。時間がなくて中には入れなかった。

このお城は城壁が美しい。
この日はとにかく空がきれいだった。

ここからまた車で別のモスクに移動。藍子が疲れてきたのでわたしと2人で中庭に座って待つ。

回廊がすごく中国的で面白い。白い壁に木目の柱、天井には日光東照宮みたいな色とりどりの模様、そこから下がるシャンデリア。
壁の下の方の青いタイルがまたすごくきれい。1枚ずつの微妙な濃淡が存在感を作りだしている。本物の色はきれいだ。

と、ここでなんとカメラが使えなくなってしまった。借り物のカメラだったので怖くなって深追いしないことにしたのだが、結局は単にデータの容量オーバーだった・・・。なので、すみません。ここからの日記は写真なしになってしまいます。

夕方アリシェルさんの家に戻ると、お母さんがタンドールでナンとサモサを焼く準備をしていた。家の一番端の台所の隣にタンドールの小屋があり、結構大きなタンドールが置いてある。ジザックで見たような上から覗き込む形ではなく、かまくらみたいな形と言えばいいのかな、横に穴があいていて使いやすいようにちょっと高くなっている(写真がないと説明しにくい)。この中に綿の枯れ枝をどんどん入れて火をつけて燃やしていく。ウズベキスタンは綿花栽培が盛んなので、薪も綿なのだ。それをみながらアリシェルさんがいろいろ話してくれた。アリシェルさんが小さいとき、お母さんは綿をたくさんもらってきて手で種をとりながら綿をつんで、2本の棒でたたくと綿がふわふわになるので、それを平らな所で整えてクルパチャ(布団)を作ってくれた。子供が結婚するときには何枚も作って持たせないといけないので、お母さんはそうやってたくさん作ってくれた。いつかお母さんを日本に旅行に連れて行って恩返しをしたいな、と。クルパチャを手作りすると聞いて、この綿の枯れ枝を頭に浮かべる人はいないだろう。一つのものが何からどうやってできているのか見えない世の中になっている気がした。

タンドールの中でごうごうと燃えていた火がおさまってきて、中がしっかり熱くなったので、もえかすを掻き出して火が消えたところで、タンドールの壁にサモサをどんどん貼りつけていく。つまり余熱で焼くというやり方だ。ふたをしてしばらくおいておく。頃あいを見計らって焼けたサモサを取りだすと、1個ずつ油を塗っていく。お兄さんの奥さんと2人で手早い共同作業だ。そして再びタンドールに火をつけて、今度はナンを焼く。

焼き上がったサモサは中身はかぼちゃで、形もムボーラさんのところで食べたみたいな、四角い皮で折って包んだような形をしている。サモサをいただいていると、ナンを焼き終わったお母さんが今夜はイベントに出かけるよ、と支度を始める。私たちはもう疲れたし、このままサモサを食べて休みたいくらいだったのだが・・・。パワフルなお母さんにさあ行くよ!と言われて車に乗り込む。

行先は結婚パーティーだ。2週間前に結婚した2人の、奥さんの実家で開かれるパーティーだという。着いた家は結構大きな家で、かなり広い中庭にたくさんのテーブルが並び、着飾った人たちでにぎわっている。家のテラスみたいなところが一段高くなっていて、そこがステージみたいになっていて、音楽をかけながら一緒に演奏するというスタイルで大音量の音楽がかかり、庭には踊り子までいて、テーブルの合間をぬってずーっと踊り続けている。テーブルはイスラム式に男性と女性でわかれていたので、アリシェルさんがいないと全く話のできないわたしは藍子と2人で進められるものをひたすら食べてチャイを飲んでいた。アリシェルさんのお母さんはあらゆる人としゃべりまくっている。

ステージでは音楽をとめて司会の人がマイクで何か話し始めた、と思ったら、いつの間にかアリシェルさんのお母さんがスピーチを始めた。お母さんは村では知識人として名の通った人らしいが、パワフルなスピーチに皆拍手喝さいだ。スピーチの中に「ヤポン」とか「ナスレッディン」とかいう単語が出てくる。スピーチのあとの司会者もそんなことをいっていると思ったら、石川君が次のスピーチをさせられていた!アリシェルさんが通訳している。珍しい日本からの客人ということで、盛り上がってくれている。

再び音楽が始まり、アリシェルさんのお母さん今度は陽気に踊りだす。みんなほんとに楽しそうだ!!!食べて飲んで踊って歌って、ハレの日は徹底的に楽しもう!と炸裂している・・・・。

10月ともなれば夜の屋外は結構寒く、火を焚いているところがあったのでそのまわりで温まりながら、そろそろ帰りたいなあと思っていると、お母さんがやってきてさあ次に行くよ!と言う。もう1軒結婚式にいくのだ。連れて行かれるままに行くと、今度は大きな結婚式場、さらにすごい大宴会!ハレとケという感覚は日本ではすっかり感じなくなってしまっているが、日常が厳しいほどハレの日は大盛り上がりするのかなあ、きれいに着飾ったお嫁さんを見ながら、この人もこれからの日常生活は大変なんだろうな、などとおもってしまった。